昭和53年。まだ「ルアー釣り入門」みたいな本しかなかった頃に
いきなりこの本が出版された。
ブラックバス釣りの楽しみ方
(写真の本は復刻版です)
多くのトップウォータープラッガーに影響を与えた永遠のスタンダード。
両開きのアムコのタックルボックスにぎっしり入ったヘドンやファイブオーのルアー・・・
フィリプソン、フェンウィック、ブロウニングといったロッドにアブの5000C・・・・
「ストップ・アンド・ゴー」「スロー・アンド・ステディ」というルアーの演出方法・・・・
そして・・・・
楽しみ方・・・・・
この本に出会ったのは小学生の時。
エサ釣り少年を一発でルアー少年に換える威力がありました。
それ以来トップウォータープラグを投げ続けましたが小学生の僕が演出する
プラグにバスは反応してくれませんでした。
(このルアーはダイワのウイスパーだったかな?小学生のたいパパが
投げて投げて投げ倒したプラグ。1匹も釣ってません。笑)
初めてトップでバスを釣ったのは中学2年の時・・・・
ザラのドッグウォークに飛びついたのは30センチほどのバスでしたが、
心臓バクバクで、膝がガクガク。
「則さんが言ってる事はこういう事なんか!」
この1匹以来、僕のタックルボックスからは
ワームが消え・・・
スピナーベイトが消え・・・
トップウォータープラグばかりになりました。
そして中学3年生の夏、バスはずっとトップオンリーでやって行くと決めたのでした。
初めて則さんに会ったのは27歳の時。
木更津で行われたザウルスの展示会。
僕は気合いの入った熱狂的なザウラーになっていました。
「え~!!大阪から来たの~?」
とは『サクラマスの鬼』こと、正影雅樹さん。
正影さんの粋な計らいで則さんは僕の所に来てくれました。
「遠い所をよく来たね。」
と、あのグローブのような大きな手で握手をしてくれました。
則さんは僕の為に少し時間を割いてくれました。
テーブル越しに向かい合ってイスに座って・・・緊張のあまり何を話したか殆ど覚えてません。
僕は小学生の時から則さんに憧れ続けてきた事や、中学3年生からずっとトップオンリーで
バス釣りをしてきた事などを話したと思う。
「そうか。君はフローターをやっているのか。
俺はやらないな。だって・・・カッパに足引っ張られそうだろ!(笑)」
15分ぐらいの短い時間でしたが則さんと2人だけで話が出来るという
僕にとっては夢のような時間でした。
その数カ月後・・・・
あっけなくスポーツザウルス倒産。
本気で釣りをやめようかなと考えました。
バス釣りはする気になれず・・・
その後スポーツザウルスはザウルストレインとして復活するものの
大好きなザウルスとはかけ離れた復活でした。
僕はもうフィリプソンは握らないと心に決めてフィールドを海に替えました。
「これからはロッドは絶対ダイワやな。ダイワやったら倒産せえへんやろ。
ルアーも色々なメーカーのルアーを使おう。」
フィールドを海に替えたものの・・・則さんの動向は気になってたんです。
ずっとザウルストレインのHPで則さんのエッセイを楽しみにしてたんです。
先月のエッセイが最後でした。内容は開高健さんとの思い出。
最後はこう締めくくられていた。
それが最期だった。
もっと彼と話をしたかった。
こんな早く逝くとは思わなかった。
悔まれてならない。
則さん・・・・
それは僕のセリフですよ・・・・
僕はずっと則さんのような釣り人になりたかったのですよ・・・
「沢山魚を釣る釣り方」ではなく「楽しみ方」を教えてくれた方でした。
本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。